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広島地方裁判所 昭和23年(行)38号 判決

原告

角森久美子 外一名

被告

広島県農地委員会

主文

被告が昭和二十三年七月二日、別紙目録記載(七)の農地に対する買収計画について、原告等の申し立てた訴願を棄却した裁決は、これを取り消す。

被告が昭和二十二年十二月二日、小泉村農地委員会の定めた別紙目録記載(一)乃至(六)の農地に対する買収計画について与えた承認は、これを取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

請求の趣旨

主文同旨。

事実

原告等は、その請求原因として次の通り述べた。

第一、小泉村農地委員会は昭和二十二年九月三十日原告等所有の別紙目録記載(一)乃至(四)の田に対し、これを不在地主の有する小作地として昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き農地買収計画を定めたが、これは次の点に於て違法である。

(一)原告久美子及び瑞子の父で原告康子の夫たる訴外亡角森忠〓は昭和十六年四月広島県豊田郡小泉村から、同郡忠海町に転居する際、同村の訴外大畠偆一に右四筆の田を賃貸したが、終戦直後勤務先の忠海加工廠が閉鎖した為、失職することゝなつたので、小泉村に帰り農業を営むことを決意し、昭和二十年八月下旬大畠偆一に対し、右田地全部の返還方を申し入れたところ、同人の快諾を得て右賃貸借契約は合意解約されたが、その引渡については、当時稲生育中であつたので、小泉村の慣習に従い、裏作の收穫後にすることゝ定めて、昭和二十一年五月頃返還を受けたその頃忠〓は肺を患つていた為、(四)の田のみは病気回復まで一年の期間を限り親族の訴外角森浦治に小作させ、その他は忠〓及び原告康子が耕作し昭和二十二年九月十八日忠〓死亡後は、その相続をした原告等が小泉村に居住して右三筆の田を耕作している。従つて買収基準時たる昭和二十年十一月二十三日当時大畠偆一が本件田を耕作していても、既に同年八月中に同人の賃借権は消滅しているのであるから、本件田は小作地というべきでないのに、これを小作地と認めて定められた前記買収計画は違法である。

(二)前記農地委員会は自作農創設特別措置法(昭和二十一年法律第四十三号)附則第二項、同法施行令、(昭和二十一年勅令第六百二十一号)の附則第四十五条の規定により、自ら遡及して本件の農地買収計画を定めているが、改正後の同法(昭和二十二年法律第二百四十一号)の附則第二条の規定により、右改正前の附則第二項の規定による農地買収計画に関してされた手続は改正後の同法第六条の二第六条の五の規定によりされた手続とみなされるところ、前記忠〓と大島偆一との間にされた本件農地の合意解約は改正法第六条の五で準用されている同法第六条の二第二項第一号に、いわゆる「合意解約が適法且つ正当である」場合にあたるし、仮にそうでないとしても、同条同項第四号に定めているように、原告等は昭和二十一年五月以後本件農地を耕作している所有者であり、若しこれを買収されると、他に財産がなく生計の方途を喪うに反し大畠偆一は別に自作地七、八反を有し、本件農地の売渡を受けると自作地約一町歩の裕福な地主となるのであるから、これに較べて原告等の生活状態は著しくわるくなる場合にあたるのである。

以上の二点からみて、前記小泉村農地委員会が昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き本件農地買収計画を定めたことは違法といわねばならない。

第二、小泉村農地委員会は昭和二十二年九月三十日原告等所有の別紙目録記載(五)及び(六)の畑に対し、訴外角森ワカヨの請求により昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き、不在地主の有する小作地として農地買収計画を定めたがこれは次の点に於て違法である。

(一)右畑二筆は前記忠〓が買収基準時には忠海町の住居から、通つて耕作していたものであり、同人死亡後は原告等がこれを相続し、小泉村に居住しているものであつて、時に、忠〓の祖母イウや叔父俊三に耕作の手伝を受けたことはあるが未だ嘗て右ワカヨに賃貸したこともなく使用賃借させたこともないから、同人に小作権あることを前提として定められた本件買収計画は違法である。

(二)仮に、忠〓とワカヨとの間に使用貸信関係があつたとしても原告等は本件農地を買収されると無財産になるに反し、ワカヨは亡夫角森俊三の遺産相続人として田畑一町余、宅地百九坪及び地上建物等相続財産の三分の一の相続分を得ているのであるから、自作農創設特別措置法第六条の二第二項第四号の規定により遡及して買収計画を定めることはできないのである。

(三)右角森俊三は忠〓の実母チヨノと婚姻した為、忠〓の叔父であると共に継父であり、忠〓の実父唯一は本家とりであつたが夭折したから遺妻チヨノは義弟にあたる右俊三と婚姻したところ、一子忠〓が幼少であつた為角森家の財産に大部分俊三名儀となつた。その後チヨノが離別されて、右ワカヨは俊三の後妻として迎えられたものであるが、俊三、チヨノ間には一子愛子があつたのにワカヨには子はできなかつた。俊三が昭和十九年九月ビルマで戦死したとの公報は昭和二十一年十二月あつたが、それから後その相続問題のことから右愛子とワカヨとの間には紛争が生じているところ、小泉村農地委員会はワカヨの立場に同情し、これと結託し、ワカヨが恰も俊三名儀の農地の小作人であるかの如くして、俊三の遺産中農地宅地建物及び農機具等を、すべて政府に買収させ、同女に売り渡す方法をとつて、右愛子に遺産相続の実をなくし、角森家の財産を横領させようとしたらのであるが、こうした不純な意図から、忠〓名儀の本件畑二筆と後記宅地も、ワカヨに取得させしようとして、不法にも右農地はワカヨの小作地なりと称して本件買収計画を定めている。

第三、前記委員会は昭和二十三年七月二日別紙目録記載(七)の宅地に対し、右角森ワカヨの請求により、昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き、不在地主の有する小作地として農地買収計画を定めたが、右土地は宅地であるから農地として買収することはできないし、原告等は前所有者忠〓の時代から同地上に家屋建築の計画をもつているが、建築着手まで自家菜園として利用しているのである。忠〓生存中は忠海町の住居から出耕作を続け、同人死亡後は原告等がこれを相続し小泉村に居住し引き続き耕作しているから、現況農地としても自作地である以上買収できない。併し、仮に忠〓と俊三、ワカヨ等との間に使用貸借関係があるとしても、前記第二と同一の理由により昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き買収計画を定めることは違法である。

以上第一、第二の違法な買収計画を昭和二十二年十二月二日承認した被告の処分も亦違法であり、第三の違法な買収計画に対しては原告等が異議の申立をしたところ、小泉村農地委員会は却下の決定をしたので更に被告に対し訴願をし、被告は昭和二十三年七月二日訴願棄却の裁決をしたが結局、右第三の違法な買収計画を容認した右裁決も亦違法である。よつて、被告に対し、請求の趣旨記載の判決を求める為、本訴請求に及ぶ次第である。(立証省略)

被告訴訟代理人は「原告等の請求を棄却する。訴訟費用は原告等の負担とする。との判決を求め、本案前の抗弁として(一)小泉村農地委員会が本件農地(別紙目録記載(七)を除く)に対し買収計画を定めたとき、原告等はこれに対し、自作農創設特別措置法第七条の規定による異議の申立をしていないのであるから、被告が右買収計画を承認したのに対し、これが違法を理由として被告の承認の取消を求める為出訴することはできない。(二)然らずとするも、被告の与えた承認なる行為は、上級官庁としての被告委員会が下級官庁たる村農地委員会の定めた農地買収計画を承認するという単なる内部的意思決定に過ぎず、行政庁として国民に対する処分ではないから、国民に告知せられるものではない。従つて、被告の与えた承認の取消を求める本訴は不適法であると述べ、

本案に対する答弁として原告等の主張事実中、原告等と訴外亡忠〓、俊三、イウ及びワカヨとの身分関係が原告等の主張通りであり、原告等主張の日、本件土地全部を忠〓の死亡により原告等が相続したこと、昭和十六年四月亡忠〓が小泉村から忠海町に転居し同人及び原告等は忠〓が死亡するまで同町に居住したこと、忠〓は右転居の頃原告等主張の田四筆を訴外大畠偆一に賃貸小作させたが、原告等主張のような事情で右賃貸借契約を合意解約し、(四)の田だけは忠〓病身の為訴外角森浦治に小作させたが他の三筆の田は忠〓等が自作していること、右四筆の田に対して小泉村農地委員会は遡及して買収計画を定め、(五)及び(六)の畑についてはワカヨの請求により同会が遡及して買収計画を定め、被告に於て右計画を原告等主張の日に承認したこと、右二筆の畑は現在原告等が耕作していること原告等主張の(七)の土地の地目が宅地となつており、現在は原告等が農耕地として利用していること及びこの土地に対し右委員会は遡及買収の計画を定め、これに対する原告等の異議申立を棄却したところ、原告等が更に被告に対し訴願をし、原告等主張の日、被告が右訴願を棄却する裁決をしたことはいずれも認めるが、その余の主張事実は否認する。忠〓が大畠椿一と賃貸借契約を合意解約したのは昭和二十一年五月頃であり、(五)乃至(七)の土地は昭和十六年四月頃俊三が忠〓から賃借して耕作していたところ、俊三の死亡により妻のワカヨが右賃借権を相続により承継したものである。(七)の土地につき、仮に忠〓俊三間に賃貸借契約がなかつたとしても、使用貸借契約があつたのであるから、ワカヨは右契約に基く使用権を相続により承継したものである。右三筆の土地にワカヨが麦の耕作をしていたところ、昭和二十年十二月中原告等が不法にも侵入して耕作を始め遂にワカヨの耕作を不能ならしめたに過ぎないと述べた。(立証省略)

理由

先ず被告の本案前の抗弁につき按ずるに

(一)原告等が被告に対し、別紙目録記載(一)乃至(六)の農地に対する買収計画を被告に於て昭和二十二年十二月二日付承認した処分の取消を求める訴は自作農創設特別措置法(以下自創法と略称する)所定の異議及び訴願の申立をすることなく、提起されていることは当事者間に争なく、本件出訴の日が昭和二十二年十二月十日であることは記録上明かであるところ、其後昭和二十三年七月一日法律第八十一号行政事件訴訟特例法第二条の規定によつていわゆる抗告訴訟に訴願前置主義が採用されたことに鑑みるときは本訴提起当時は前記異議若くは訴願の手続を経由しなくても出訴できると解するのが相当であるから、被告の右主張は採用できない。

(二)被告委員会が小泉村農地委員会の定めた買収計画を承認したことを原告等に告知されないことは、被告のいう通りであるけれどもそれは被告も認める如く上級官庁から下級官庁に対してなされるものであるから単なる一行政官庁内の意思決定にすぎないとみることは妥当でないのみならず、他面承認行為は農地買収計画を確定させる効果を有し、買収計画が確定しなければ農地の買収処分ができないことは自創法第八条及び第九条によつて明かである。従つてそれは農地買収手続中買収計画の確定という一の独立した行為であつて、もし違法な買収計画を承認したとすれば、その承認も違法となり延いては買収処分にも影響を及ぼしこれ亦違法たるを免れないのであるから、承認行為も亦裁判所の審理の対象となるものといわねばならぬ、そして本訴が提起されたのは、前記の如く昭和二十二年十二月十日であつて当時はまだ行政事件訴訟特例法は公布されておらず、裁判所法第三条によつて、裁判所が、一切の法律上の争訟を裁判することを規定したにかゝわらず、行政事件の争訟の対象については何の定めもなく、わずかに日本国憲法の施行に伴う民事訴訟法の応急的措置に関する法律第八条に「行政庁の違法な処分の取消を求める訴」について出訴期間が定められていたにすぎない有樣で、農林省も前記承認は「行政庁の処分」に該当する旨の通達を出していた程であるのに(昭和二十三年十月十六日農林省農政局長通達農局一七五七号参照)前記行政事件訴訟特例法が施行せられ、行政訴訟の対象が漸く明確になつた今日から推して、右承認は行政庁の処分にあらずとして、本訴を却下することは行政権に対して、違法な行為から国民を救済し、国民の基本的人権を裁判上保障することを明言した憲法第八十一条裁判所法第三条の趣旨に悖るものといわねばならぬ。

以上いずれの点からしても、被告の右抗弁は採用し難い。

進んで本案請求の当否について審究するに

別紙目録記載(一)乃至(四)の田四筆を所有者の訴外亡角森忠〓が昭和十六年四月頃小泉村から忠海町へ転居する際、訴外大畠偆一に賃貸したところ、昭和二十一年五月頃大畠は忠〓に対し田地をすべて返還したこと、その頃忠〓は病気であつた為(四)の田だけは訴外角森浦治に耕作させたが、他の三筆は忠〓及び原告等において返還を受けて以来自作していること、原告等はその主張の日忠〓が死亡した為本件土地を相続により承継取得し、小泉村に帰住していること及び小泉村農地委員会が昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き、不在地主の有する小作地として本件田に対する買収計画を定め被告において原告等主張の日右計画を承認したことは当事者間に争がない。

原告等は大畠が事実上小作地を忠〓に返還するより前既に昭和二十年八月下旬前記賃貸借契約の合意解約が成立したと主張するけれども、原告等の全立証をもつてしても、右主張を認めることはできず、却つて証人大畠偆一の供述によれば、前記昭和二十一年五月頃忠〓の祖母角森イウから返還の要求があつたので、これを承諾したことが認められるところ、前記のように昭和二十年十一月二十三日当時、所有者忠〓の住所は忠海町にあつたのであるから、本件田は不在地主の有する小作地というべきである。併し右大畠椿一の供述、証人角森イウの証言及び同角森ワカヨの証言の一部並びに弁論の全趣旨を総合して考えると、元来農業学校まで終え農業に経験のある忠〓は軍隊で耳を患つており終戦後兵器加工廠で失職するに及んで小泉村に帰り農業によつて生計をたてようとして、前記の通り祖母ワカヨを通じて小作人の大畠から田地の返還を受けたものであつて、その際、大畠に対し不当な圧力を加えて同人の承諾を得たような事情は全然認められないところ、大畠は本件小作地以外に相当の農地を耕作しておる為、右返還により相当な生活の維持が困難となるような懸念もなく、忠〓は小泉村の生家が相当手広く農業を経営しているので農業施設に困るよううなことはないものである等の諸般の事情から、前記合意解約は適法且つ正当と認められる。証人大畠は「自分は今でもこの田を作りたく思う。買収の請求はしていないが、買収となつたことを知り、買受の申込はしている。」と供述しているが現在の食糧事情からすれば少しでも多く耕作したいのは人情であるから、この証言だけで大畠に対する右認定事実を左右することはできないし又前記の如く忠〓が病気の為、返還を受けた四筆の田の中、(四)の一筆は親戚の訴外角森浦治に耕作させたからといつて右認定の妨げになる事情とは解せられず他に如上認定を覆えすに足る証拠は存しない。そうすると、原告等の主張しているように、昭和二十二年法律第二百四十一号により改正された自創法附則第二条の規定により、改正前の同法(昭和二十一年法律第四十三号)の附則第二項の規定による農地買収計画に関してされた手続は改正後の同法第六条の二、第六条の五の規定によりされた手続とみなされるから、本件買収計画にあつても右規定に背反してはならないものと解すべきところ、小泉村農地委員会の定めた本件買収計画は、前記の通り合意解約が適法且つ正当であるから遡及して買収できないにも拘らず、自創法第六条の五、第六条の二第二項第一号に違反し昭和二十年十一月二十三日現在の事実に遡つて定められた違法があり、従つて、昭和二十二年十二月二日被告が右計画に与えた承認も違法であつて取消を免れない。

次に、別紙目録(五)乃至(七)の土地に対する買収計画について按ずるに、これらに対し、小泉村農地委員会が不在地主の有する小作地として、昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き買収計画を定めたこと、これに対し夫々原告等主張のように、被告の承認及び裁決があつたこと、角森ワカヨは忠〓の叔父俊三の後妻であつて右土地に関し右委員会に対し遡及買収の請求をしたこと、(七)の地目が宅地となつてはいるが長く農耕地として利用されていること及び(五)乃至(七)の全部について現在原告等が自作していることはいずれも当事者間に争がない。(七)の土地の現況が農耕地である以上、たとえ、これを宅地として利用する意図があつても自創法にいわゆる農地であることに変りはなく従つてこれが農地として買収されることあるべきは当然のことでこの点に関する原告等の主張は理由がない。

前記証人大畠偆一、角森イウの各供述及び証人角森ワカヨの供述の一部を総合して考えると、俊三とは叔父甥である上に継父子の間柄にさえあつた忠〓が、同人の仕送りで農業学校を卒業し、俊三等と共に農業に従事していたが、やがて俊三が忠海兵器加工廠に勤務するようになると同所に就職し、通勤の不便から、昭和十六年四月頃前記のように忠海町へ転住したものゝ、小泉村と忠海町とは一里ばかりの距離のこと故休暇ごとには小泉村の生家に帰り農業を手伝い、俊三又は忠〓という所有地の区別もなく共に角森家の農地として耕作しその収穫物も共同して消費していたこと、忠〓は昭和十七年原告康子と婚姻し忠海町に一世帯を構えたが昭和十八年俊三応召後に男手のない生家に対し唯一人の成年男子として同家の世話をすべきものであつたところ、昭和二十一年暮俊三戦死の公報があつてから後は、俊三とワカヨとの間に子がない為、相続問題のことから同女は俊三と先妻との間にできた愛子と不仲になり、その上俊三の弟忠信が復員帰鄕して同居し、更に前記の通り忠〓死亡後原告等も帰村して同家に居住するようになつてからは、これらの者の間に相互に嫉視反目の日が続くようになつたが元来本件三筆の土地は住宅のすぐ近くにあるので、かような紛争の起るまでは一家総出でこの土地を耕作し収穫物は一家全員のものと考えて処分し忠〓及び原告康子等も気兼なくしばしば忠海へ持ち帰る有樣であつたことを認めるに十分であつて、忠〓としてはこの土地を俊三若くはワカヨに賃貸したり或は使用貸借したりするような水臭い間柄ではなかつたものと解するのが相当であつて、しかも終戦となり兵器加工廠で失職した忠〓としては一層小泉村の所有地に依存しなければならなくなつたに拘らず、昭和二十年十一月頃ワカヨが忠〓とは独立に本件土地を耕作する権限を有していたことは、当裁判所のたやすく措信できないワカヨの証言を除いてこれを証明する資料がない。

そうすると、角森ワカヨに小作権のあることを前提として前記三筆の土地につき、昭和二十年十一月二十三日現在の事実に基き農地買収計画を定めた小泉村農地委員会の処分は違法である。(五)及び(六)をの畑二筆に対する右買収計画に対し、昭和二十二年十二月二日与えた被告の承認及び(七)の土地に関する右買収計画に対し、原告等がした訴願を昭和二十三年七月二日付排斥した被告の裁決は、いずれもこの点において違法であるから、他の争点については判断を加えるまでもなく取消を免れないのである。

よつて、原告等の被告に対する本訴請求をすべて正当として認容し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条を適用し主文の通り判決する。

(目録省略)

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